伊能忠敬界隈とは、異常なほど長距離を歩くことを楽しむ人たちを指す、SNS発のネットスラングです。
1日に何十キロも歩くその姿が、江戸時代に日本全国を歩いて地図を作った伊能忠敬になぞらえられ、歩くこと自体を趣味にしている現代人たちの象徴になっています。
この記事では、伊能忠敬界隈の意味をはじめ、鬱との意外な関係性や、実際に期待できるダイエット効果、元ネタとなったエピソード、さらに何キロ歩いたら界隈入りできるのかまで、詳しく解説していきます。
「歩く」だけじゃない、この界隈に秘められた深い背景を一緒に探っていきましょう。
伊能忠敬界隈とは?
伊能忠敬界隈とは、異常なほど長距離を歩くことを好む人たちを指すネットスラングです。
この言葉は、江戸時代に日本全国を歩いて地図を作った偉人・伊能忠敬にちなんで生まれました。
たとえば、1日に数万歩を超えたり、深夜から朝まで何十キロも歩いたりする人たちが、この界隈に含まれます。
伊能忠敬界隈の人たちは、歩くこと自体を趣味やストレス解消の手段として楽しんでいるのが特徴です。
なかには、特別な理由もなく、ただ「歩きたいから歩く」という純粋な動機で何十キロも歩く人もいます。
単なる移動手段ではなく、歩くこと自体を目的化する文化として、今後さらに広がっていく可能性もありそうです。
伊能忠敬界隈と鬱の関係性
伊能忠敬界隈はしばしば鬱と関連性があるのでは?と考えられることがあります。
歩くことで思考を整理しようとする
体を動かすことで気分を安定させたい
夜中に歩き出すケースが多い理由
歩くことで思考を整理しようとする
伊能忠敬界隈にいる人たちは、ただ体力を鍛えたいわけではないことが多いです。
実は、歩きながら頭の中を整理したり、考え事をまとめるために歩く人がたくさんいます。
特に、気持ちが沈んでいるときや、悩みが渦巻いているときに、歩くことで思考を「動かして」整理しようとする傾向が見られます。
これは、鬱に近い状態や、不安感を抱えているときの自己防衛反応だと考えられます。
体を動かすことで気分を安定させたい
長距離を歩く行為には、脳内でセロトニンという「幸福ホルモン」が分泌される効果があります。
このため、鬱っぽさや気分の落ち込みを和らげるために、無意識に歩きたくなる人がいるのです。
特に、疲れるまで歩くことで、頭を空っぽにしたり、過剰な自己否定のループから一時的に抜け出すことができる場合があります。
つまり、伊能忠敬界隈の長距離歩行には、心のバランスを取り戻すための「セルフメディケーション(自己治療)」的な側面があると言えます。
夜中に歩き出すケースが多い理由
伊能忠敬界隈の人たちの中には、夜中から朝方にかけて長距離を歩くスタイルをとる人が目立ちます。
これは、夜になると気分が落ち込みやすい「夜間鬱(ナイトディプレッション)」の影響と関係があると考えられます。
静かで誰にも邪魔されない夜の街を歩くことで、焦りや孤独感を少しでもまぎらわせようとする心理が働いています。
夜に歩くという行動は、単なる趣味ではなく、心の苦しさをやり過ごすための必死な方法でもあるのです。
伊能忠敬界隈はダイエットに有効か
伊能忠敬界隈のように長距離を歩くスタイルは、ダイエットにかなり有効だと考えられます。
歩くことは有酸素運動に分類され、脂肪燃焼に非常に適した運動です。
特に、長時間・長距離を歩くことで、体脂肪がエネルギー源として使われやすくなります。
一般的に、有酸素運動は20分以上続けると脂肪が燃え始めると言われています。
伊能忠敬界隈の人たちは、1時間や2時間どころか、何時間もひたすら歩き続けるため、ダイエット効果も自然と高まるのです。
伊能忠敬界隈式ダイエットを成功させるには、歩行距離を増やすことと、バランスの良い食生活を意識することがセットで大切です。
無理なく続けられて、精神的なリフレッシュにもなるので、ストレス太りを防ぎたい人にもぴったりな方法だと言えるでしょう。
伊能忠敬界隈の元ネタ
伊能忠敬は、日本全国を自らの足で歩き回り、正確な地図を作り上げたことで有名な人物です。
この「異常なまでの長距離歩行」というエピソードが、現代の長距離ウォーキング好きな人たちと重ね合わされたのが発端です。
2024年頃、X(旧Twitter)で「19時から翌朝4時まで40km歩いた」という投稿が話題になったことをきっかけに、「伊能忠敬界隈」という言葉が広まりました。
この投稿を見た人たちが、異様な歩行距離をネタにしつつ、同じように歩きまくる人たちをまとめて伊能忠敬界隈と呼び始めたのです。
もともとは冗談半分の呼び方でしたが、今では長距離歩行を趣味にする人たちを指す一種のアイデンティティとして定着しつつあります。
つまり、伊能忠敬界隈の元ネタは、歴史上の偉人へのリスペクトと、現代人の行き過ぎた趣味をかけ合わせたユーモラスな発明だと言えます。
何キロ歩いたら伊能忠敬界隈に入れるのか
伊能忠敬界隈に入れるかどうかは、厳密なルールが決まっているわけではありません。
ですが、SNS上の流れを見る限り、かなりの長距離を歩くことが一つの目安になっています。
一般的には、1日で30km以上歩くと「伊能忠敬界隈入り」とみなされやすいと言われているようです。
具体的には、19時に出発して翌朝まで歩き続けたり、通勤や散歩レベルを超えた距離を一気に踏破するようなスタイルが該当します。
さらに、40km以上歩いたという投稿や、「夜通し歩いた」などのエピソードがあると、より界隈っぽさが強く認められる傾向にあります。
伊能忠敬界隈がなぜ流行っているのか考察
伊能忠敬界隈の流行は、単なる「長距離歩行ブーム」ではないと筆者は考えています。
これは、現代人の「存在を感じたい」という深層的欲求と、社会の加速的抽象化に対する無意識の抵抗によって自然発生したムーブメントなのです。順に詳しく説明します。
物理的移動=存在証明という原始的衝動
現代社会では、スマホひとつで買い物も出会いも完結し、「動かなくても世界が手に入る時代」になりました。
しかし、本来人間は、動き、移動し、距離を体感することで「自分がここにいる」という実感を得る動物です。
この実感が失われると、自己存在の感覚が希薄になり、精神的な空虚感に陥るリスクが高まります。
そこで無意識的に選ばれるのが、「歩く」という極めてアナログで原始的な行為です。
しかもただ歩くだけではなく、とにかく長距離を歩き続けることで「俺は確かにここを通った」「存在した」という痕跡を刻もうとしているのです。
伊能忠敬界隈の長距離歩行は、存在証明のための原始的な儀式だと捉えることができます。
無意味な行動への快楽と「意味からの脱出」
現代は、すべての行動に「意味」が求められる社会です。
「この努力は何の役に立つのか?」「この行動にどんな成果があるのか?」
しかし、伊能忠敬界隈の「何十キロもただ歩く」という行為は、実用性も合理性もまったくないのです。
むしろ、「意味がないからこそ自由」という快楽がそこにあります。
意味と成果に縛られる日常から一時的に脱出し、無意味な行動を無心で続けることで、自己を解放する。
伊能忠敬界隈は、意味消費社会に対する無言の反逆でもあるのです。
「旅」の代替としての長距離歩行
かつて人間は、旅をすることで知らない土地に触れ、外界と自己を相対化してきました。
しかし、現代は交通網の発達と情報化によって、旅の「未知感」や「発見」が失われつつあります。
地球の裏側でさえ、Googleマップで一瞬にして見渡せる時代です。
そのため、旅という行為自体の神聖さが希薄になり、代わりに「自分の足で時間をかけて移動する」という原始的な旅的体験が求められるようになったと考えられます。
長距離歩行は、言い換えれば、現代人に残された最後の「リアルな旅」なのです。
伊能忠敬界隈は、旅の原型を再現しようとする試みだとも言えるでしょう。
ネット社会のカウンターカルチャー
さらに、伊能忠敬界隈の流行は、SNSの文化にも関係しています。
SNSは、基本的に「短い言葉」「一瞬の映え」を求める超高速メディアです。
それに対して、何十キロも黙々と歩くという行動は、超スローな、時間を積み重ねる行為です。
このギャップこそが、今の若者たちにとって新鮮で、逆に「かっこいい」と感じられているのではないでしょうか。
伊能忠敬界隈は、加速社会に疲れた現代人のための超スロームーブメントだと言えます。
伊能忠敬界隈が流行している理由のまとめ
伊能忠敬界隈が流行っているのは、単なる「ネタ」でも「健康志向」でもありません。
- 存在証明への本能的な渇望
- 意味付け社会からの脱出
- 旅の神聖さを取り戻したい欲求
- 加速社会へのカウンターカルチャー
これら深層の動機が重なり合った結果、「歩く」という行為が、現代の若者たちにとって最も自由で誠実な自己表現のひとつになったと筆者は考えています。
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